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Channel: 餌木作人の戯言(薩摩烏賊餌木『弾(だん)』の作者)
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自殺の名所「深山陸軍墓地」

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【和歌山】自殺の名所「深山陸軍墓地」、名もなき兵士たちの想いの果てに...

 和歌山県和歌山市・加太近くの山深い場所に、ひっそりと佇む墓石群がある。誰も訪れず、ただひたすらに、流れる時間に身をゆだねるかのように存在するそれは、この一帯がいわゆる「自殺の名所」ということもあって、極めて奇異な印象を、訪れる者に対して与えている。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2015/09/post_7251.html】

 明治維新後の19世紀後半、欧米列強がひしめき、互いに凌ぎを削る外の世界へと飛び出した日本は、いわゆる「富国強兵」を旗印に、急速な工業化・近代化を推し進めた。そうした流れの中で、当時の政府および軍部は、本格的な国防に着手する。各地の要衝には、砲台や要塞が配備された。近畿地方においても、当時、東京と同じかそれ以上に、経済的に重要な意味合いを持っていた大阪の守りを固めるべく、紀淡海峡にいくつもの砲台・要塞が設けられた。淡路島側に生石砲台・高崎砲台・成山砲台・赤松砲台・伊張砲台、本州側には加太・深山・友ヶ島に、本格的な防衛拠点が複数置かれるなど、当時の政府・軍部が、いかに当地を軍事的に重要な意味を持つものとして位置付けていたかが、その頃の史料を見てもひしひしと伝わってくる。この一帯の防衛ラインの構築は、当時の政府にとって、一大国家プロジェクトともいえる壮大なものであったのだ。

 「旧深山要塞重砲兵聯隊陸軍墓地」と記され、色褪せて久しいその看板を横目で追いつつ、すっかり荒れ果てた細い小径を登り、暫く歩を進めると、急に開けた場所が現れる。ざっと見たところ、各40~50基ほどはあるだろうか。往時の兵士たちがそうであるように、ある程度、規則的な列を成した墓石は、既にその身を苔に蝕まれて朽ち、崩れているものも目立つ。傍らに置かれた用具入れにも「祈 先輩諸英霊の 霊安かれ 深山会」との文字も確認できる。しかし、戦場にて没した者たちの遺志を受け継ぐ形で、その後の時代を生き抜いたかつての戦友たちですらも没して久しい今、もはやその意味を知る者はさほど多くはないだろう。

 ここに眠る英霊の多くは、かつてこの地に置かれた旧・陸軍の深山重砲兵連隊に所属していた砲兵たちのものだという。そのせいか、没年にはバラつきがあり、古くは日露戦争期、比較的新しいもので、大東亜戦争の時代のものも散見される。

 そうした墓石群の後方へと続く小径へと足を踏み入れ、さらに歩を進めると、そこにはもうひとつ、同じような墓地があった。

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