これが日本の限界か?神奈川県の危険ドラッグ撲滅キャンペーンCMが結構がんばっていた

日本の場合、感情的になっていることに無自覚な自らが善良であると疑わないクレーマーによるクレームを配慮し、リアリティーのあるグロテスクな表現が自粛されてしまうわけだが、そんな中、神奈川県の危険ドラッグ撲滅キャンペーンCMはアニメーションを駆使して、その恐ろしさを表現した点においては評価できる仕上がりとなっていたようだ。
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危険ドラッグの恐怖
実際には危険ドラッグの恐ろしさは実際に危険ドラッグを使用したことで起こした事件や事故映像を使えばさらにその恐ろしさが伝わるわけなのだが、アニメーション化するところでギリギリの線を狙ったようだ。今の日本だとこれがいっぱいいっぱいだろう。
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子供たちのトラウマになる、危険ドラッグ中毒者の犠牲になった遺族がかわいそうなどの声を配慮し、情報発信者である企業側は炎上を恐れ、日本の広告表現は自粛・規制である。
だが、自らが善良であると信じて疑わない人ほど、実は私的な感情で揺り動かされており、誰かを傷つけているのに無自覚なのも事実だ。
で、何が言いたいのかというと、善良と信じ込んでいる人によるクレームからの自主規制により、ちょっとでもきもちわるいもの、不快なものは、企業側の自主規制により排除されることに私はちょっと納得いかないわけだ。昆虫すらもグロとなり、生態系のすばらしさすら子供たちに伝えられない事実を憂いでいるのだ。だってそれって実は差別意識を助長しているだけじゃん。気持ち悪いものだって地球内乗組員の一人だろうさ。本人たちは善良と信じて疑っていないので無自覚に差別意識を持ってるってことに気が付かないんだろうなと思うと悲しくなってくるわさ。
汚いものは見せない。臭いものには蓋。それってその時点で差別してるってことじゃん。人間だから自分と違ったものに嫌悪感をもつのは当たり前だけど、よく見てりゃ同じ地球内生命体であり、根本は同じって気が付くわけで、完全な善もなきゃ完全な悪もないわけで、不完全な人間に満ち溢れている世の中っていうのをもっとみんなが自覚することが大事なんじゃないかと思うわけなんだ。
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